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松伏町「道の駅」要望項目#1目的&手段の明確化②

Updated: Oct 21, 2020


こんにちは 増田ひとし通信です。10月19日(月)所属会派自民クラブが町長へ要望した内容の詳細の報告です。

2)地域づくりのPR発信内容を具体化すること <趣旨>松伏町が目指す道の駅の事業成功のための先駆性・人を呼び込む魅力のポイントは何かを明確にすること 

例)首都圏30kmの立地を活かした道の駅 背後に1400万人の世界有数の大都市である巨大消費地、マーケットを取り込む戦略。特に町村合併で消えつつある「葛飾」は、江戸幕府直轄領であった。江戸の下町文化を支える米・野菜の供給基地としての「葛飾」は米を使った味噌、醤油、麹の発酵食品の産地でもあった。発酵食品は日本の食文化を支える一要素であり、健康食品として世界からも注目されている。松伏はかつて「醤油」の産地でもあり、醤油の野田市とも米、大豆、樽のこもの材料である藁の供給基地でもあったと聞く。天領米を使った日本酒「まつぶし誉」もある。「発酵食品」をテーマにした道の駅は千葉県神崎町に「発酵の里こうざき」もあるが、特徴ある「発酵食品」も扱う道の駅とすることも、有力な成功の一要素となりうると考える。発酵食品は多様であり、全国から珍しい発酵食品を扱う事も一手であると考える。また、金杉は銚子、関宿、宝珠花から江戸への高瀬舟(日本の河川用貨物船)による物流の中継基地であったようでもある。江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎は『富嶽三十六景 常州牛堀(1831-1834、現茨城県潮来市に町名が残る)』で霞ヶ浦・常陸利根川の川岸に風待ちで帆柱をたたんで停泊している高瀬舟と富士山を描いており、松伏金杉にも同じような情景があったことを思わせる。このような特徴から松伏にとどまらず、埼玉の元北葛飾郡の市町村、千葉の東葛飾郡、東京の葛飾区を直接マーケットとして取り込む戦略は有効であることから駅名を葛飾文化圏の中の松伏を示す「葛飾まつぶし」とすることも一案として提案する。

 地域をPRする方法の一つとしては、興味深い『物語』、美味しい『飲み物』と『郷土料理』をセットで提供することが有効とされている。『飲み物』と『郷土料理』については事項3)で詳述する。『物語』としては他にも、明治時代に自然主義文学で活躍した田山花袋が松伏町の古大落利根川あたりの風景を描いた紀行文がある。俳句では高浜虚子や溝口素丸らが当時の松伏の情景を詠んでいる。

 治水事業では江戸時代に飯島貞嘉(さだよし)氏が親子2代に渡り、頻発する庄内古川と江戸川の氾濫を抑えるため幕府に直接陳情したことにより、現在の中川の姿に至っているとの歴史が松伏町内の小学校で教えられている。また、葛西用水古利根堰は、松伏の稲作農業と風景には欠かすことはできず、その歴史も興味深いものがある。更には、県内有数の豪農石川民部家の歴史もあり、S&B創業者である山﨑峯次郎氏、峯次郎氏と金杉尋常小学校の同級でともに俊才の初代松伏町名誉町民で解剖学の世界的権威である金子丑之助医学博士、日本画の後藤純男画伯もおられるので、同時発信すると良いと考えられる。

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